先日、私が旅行会社時代の上司にあたる
福岡支店と広島支店の両上司の方々と3人で会食。
福岡から出張で来られた上司とは約1年ぶり。
お二人とも現職は旅行業界。
目まぐるしく変わる旅行業界の話題は新鮮さも懐かしさもあった。
途中、スポーツの話題に。
いや、スポーツというより「審判」の話題だ。
広陵高校、夏の甲子園決勝で起きた誤審問題。
これに3人がそれぞれの考え方、捉え方で熱く語り合った。
A)
あれは間違いなく誤審。 今後はモニターで管理するべきだ。
B)
確かに誤審かもしれないが、人がやることだから間違えはある。
スポーツの世界は、審判の判断は絶対だ。
この2つの意見で30分は熱く・・・。
広島県民の想いからすれば、あの決勝の場面の誤審は悔しい。
また、審判の判断は絶対なのであれば、”誤審”はあってほしくない。
今回の件は、モニター管理すれば一目瞭然だろう。
この話題で出たのが、「世紀の誤審」

「誤審」もスポーツの文化と言われている。
しかし、「誤」はけっして良いものではない。
ルールの中で、間違いが多ければ
それさえも「文化」と称するのは違うのではと私は考えている。
私しが唯一、審判団を認めるのは、日本の国技「相撲」。
微妙な判定はリアルに土俵上で審判委員が協議する。
長いときは数十分も。
観客から見ても公平でリアルタイムに協議することは
力士にとっても納得のいくものではないだろうか。
相撲規則の中に「審判規則」が以下のように記してある。
・勝負の判定を正しく公平に決定する責任があるので、
行司の軍配に異議を感じたとき、速やかに「異議あり」の意志表示をして協議に入る。
・見え難い位置で勝負がついたなどの理由があれば協議を棄権することがある。
・控え力士から物言いがついたとき、これを取り上げて協議しなければならない。
中でも、控え力士に”物言い”という勝負判定に意義を言えること。
これは本当にすばらしい規則だと思う。
「誤審」で熱く語り合ったあとは、場を変えて飲み明かした。
会食の席であれ、ビジネス上の席であれ
自分の考え方や捉え方は必要なことで
相手を知る上でも自分を知ってもらう上でも重要なスキルだ。